今回のドイツ訪問初日は、フランクフルトに泊まりました。旧市街を少し歩く時間があり、レーマー(市庁舎)広場と言う中心的な場所の周辺を訪れました。レーマーという名が示すように、旧市庁舎を含む、15世紀から18世紀にかけて建てられた木造の建築物がきれいに保存され一部は公開されています。かつては、神聖ローマ帝国の皇帝戴冠式に使われていた建物も残っています。14世紀頃から現在に至るまで、少なくともシンボル的な意味においては、一貫してフランクフルトの中心地であり続けている場所です。単に観光用に歴史的な場所を保存するということでなく、民族の文化と記憶を継承する重要な存在として考えられていることが見て取れました。
 ド
イツの各都市では、毎年11月下旬からクリスマス頃にかけて、クリスマスマーケットという市が開かれ、どこでも煌びやかに装飾された屋台やテントが立ち並び、市民や観光客で賑わっています。フランクフルトのクリスマスマーケットは、レーマー広場で開催され、私は今回初めて行ってみたのですが、外国人観光客を含め、たくさんの人々が訪れていました。観光客では、中華系のツアー客と思われる人々が圧倒的に多く、日本人らしき人たちは、その時間帯では家族連れや友人同士らしき数組を見かけただけでした。ちなみに、中華系観光客の多くは、ドイツに入国するとツアーバスで各地を移動するようで、数十人規模の団体行動がより存在感を高めているのだと思います。
 
歴史的に領邦国と自由都市(フランクフルトもその1つです。)が結集して国家を形成してきたドイツは、それぞれの地方や都市に独特の文化が発展したと聞きます。もちろん、日本も二百数十年に及んだ幕藩体制の時代など、小国家の連合体に似た歴史もあり、各地にそれぞれ異なった文化もあります。しかし、現代の日本はどうでしょうか?広場が市街地の中心地となったのは、ドイツなどヨーロッパの特色で単純に比較は出来ないとは思いますが、現代の日本各都市の中心地はどこでしょうか?
 
私は何も、古いものを全て残すべきと思っているわけではありません。形あるものは新陳代謝もまた必要です。しかし、残念なことは、ドイツなどでは少なくとも旧市街と線引きされた地区では、数百年前の建造物も含め、街区として町並みが保全されているのに対して、日本では同様の街区もあるものの、歴史的建造物の多くは都市の中に点在しているのです。これも、「ドイツ訪問記①」で書いたように、思想の違いに由来するのでしょうか?この点についても、今回の訪問を通して、大いに考えさせられます。

フランクフルトのクリスマスマーケット

            (フランクフルトのクリスマスマーケット)